前回からの続きです。
前回の続きはこちら。
時代は清衡の時代へ。ここから奥州藤原家が始まります。
後三年の役
前回から約25年後。
清衡は32歳になっていました。
今回の戦はお家騒動が発端です。
真衡のお嫁さんは源頼長の娘だったので、源氏を盾にしていましたが、謎の不審死。
歴史には表立っていませんが、このタイミング、きっと暗殺されたのではないでしょうか。
怒らせると怖い男、清衡。
こうして出羽、陸奥ともに清衡の領土になり、名実ともに東北の長になった清衡は名字を清原から藤原に戻し、住まいも平泉へと移るのでした。
初代清衡
清衡の大切な人をたくさん亡くした思いから、平泉の繁栄は始まります。
中尊寺と中尊寺経典
中尊寺金色堂は建設当時は雨ざらしでそのまま建っていたそう。
その後、金色堂を覆う覆堂が建てられたそうです。
金銀の文字の経典もすごい。なんと5400巻近い量があるのだとか。
どれだけのお金と時間がかかっているのでしょうか。
現存しているのは4500巻。うち4200巻は京都の高野山にあり、中尊寺には15巻しか残されていないそうです。
二代目基衡
基衡もまたお家騒動がありました。懲りないね。
毛越寺
毛越寺は庭園しか残されていませんが、その優雅さといったらもう。
平安時代の優雅で雅な感じがすごくよくわかります。
観自在王院
基衡の奥さんが居所として建てた観自在王院。
ここまでのまとめ
波乱の青年期を送った清衡は亡くなった人たちへの鎮魂の思いから極楽浄土の世を作りたいと願っていたそうです。
本当に本当に戦が嫌だったんでしょう。
親兄弟、ほとんどが戦で亡くなっていますもんね・・
中尊寺も毛越寺も、なんか無駄に広くて、このスペースは何に使うのかな?と思ったら、何に使うわけでもない、ただ「間」を作っているんだと思いました。美しい景観のための演出である「間」。
その空間に座って歌を詠んだりしたのかな~優雅だわ~~
平安時代って色々めちゃくちゃだけど楽しそう。貴族に限りかもしれないけど。
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