中尊寺に行く前に読んでおこう!奥州藤原氏を簡単に解説します①

中尊寺に行く前に読んでおこう!奥州藤原氏を簡単に解説します①

岩手といえば中尊寺。世界遺産で国宝第一号。
これは行くしかない!

その前に、中尊寺にまつわる藤原氏の歴史を簡単にまとめました。
これさえ読めば、中尊寺が100倍楽しくなる!

最初に

最初に、中尊寺が建設された平安時代のことを説明します。
これらを踏まえて解説をお読みください。
難しい単語も簡単にわかります!

蝦夷・俘囚のこと

■蝦夷(えみし)とは、北関東から東北、北海道にかけて住み、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々のこと。
蝦夷(えぞ)は、北海道だけでなく、東北も含まれる言葉だったのですね。

■【征夷大将軍】とは、この当時は字のごとく、蝦夷を征圧する将軍のことを指していました。
俘囚(ふしゅう)とは、朝廷の支配に属するようになった蝦夷のこと。

当時の東北の勢力図

陸の奥と書いて陸奥の国。
京から見たら相当な奥地だったのでしょうね。
当時の京都人から見ると東北は手つかずの未開の地ってイメージだったのではないでしょうか。

青森、岩手、宮城、福島4つ合わせて陸奥。
秋田、山形が出羽。
福島の北部の「平氏」は、「平永衡」という豪族のことで、平清盛などの平氏のことではありません。
まぎらわしいですが。

簡単年表

まずはざっと年表で紹介。

前九年の役、後三年の役は学校で習ったような・・
奥州藤原氏のことも習ったはずですが、義経色が強くて忘れてしまっていました。

エピローグ

当時の源氏は東北を制圧する役目の総大将でした。
(ちなみに、平氏は瀬戸内海~九州の海を制圧する役目)

前九年の役

仲良くしていたある日、源氏と安倍氏の間でわざと問題を起こし、朝廷から大々的に安倍氏討伐という名目を得て戦にするのでした。

藤原経清と平永衡は蝦夷ではなく普通の武士だったので、源頼長は上司にあたります。
なので一応源氏側についたのですが、蝦夷と婚姻関係にあることを理由に平永衡は殺されてしまうのでした。

その後

源頼長は清原氏に安部討伐を頼み成功しますが、その見返りとして清原氏は安倍氏の領土と「鎮守府将軍」という役職に就き、源氏は東北を得ることはできず、ただ安部一族を滅亡させたという結果だけでした・・悲しい・・

鎮守府将軍ってなに?

鎮守府将軍とは、奈良時代から平安時代にかけ陸奥国におかれたという軍拠点の長官。
平安時代においては武門の最高栄誉職とされていたそうです。
東北一帯を取り締まる警視庁総監的な感じ??

源頼長は鎮守府将軍として東北を平定していましたが、豊か東北を自分のものにしたくてわざわざ戦を起こしてしまいました。
警視庁長官として平和を治めてきたのに、県知事たちが邪魔になった、ということかな?しかもその県知事達は国が認めてない者達だったわけですからねぇ。
私の想像です、間違っていたらごめんなさい。ご指摘いただけたら嬉しいです。

関連する逸話

この戦いのときに衣川の家から安倍氏の息子「安倍貞任」が逃げる際、源頼長の息子「源義家」が「待て、逃げるな」と呼びかけた後、
「衣のたては ほころびにけり」と言ったところ、貞任が「年を経し 糸の乱れの 苦しさに」と返したという逸話があります。

意味は「衣の縦糸がほころびるように、衣川の館も崩れてしまったぞ」「年月を経た糸には乱れがあるので(それと同じように衣川の館も年月のほころびにより戦に堪えることができなかった」

という意味です。
こんな場所でも和歌を詠むなんて、さすが平安時代。優雅です。実話かどうかわかりませんが。

義家の下の句に貞任がうまく上の句を返したので、攻めていた側の義家は思わず構えていた矢を降ろし引き返したそうです。
俘囚の安倍氏が和歌を詠める教養があったということですよね。
下の句に上の句を返すなんてこともするんですね~。おもろ。

これが平安男子の美学なのか・・?鎌倉時代に作られた古今著聞集に載っています。

でも貞任はそんなうまいこと言ってないよな?

ここまでのまとめ

奥州藤原氏ができるまでのエピローグ編でした。
藤原経清が亡くなり、奥州藤原氏初代になる息子清衡の悲しい幼少期でもありました。

続きはこちらから。

中尊寺に行く前に読んでおこう!奥州藤原氏を簡単に解説します②

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