ガイドさんと歩く世界遺産中尊寺

ガイドさんと歩く世界遺産中尊寺

世界遺産である平泉。
その資産名は「 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 」ということで、中尊寺ひとつではないのです。
中尊寺が有名なので中尊寺だけかと思っていました。

今回はその平泉の世界遺産5つ見てきたのでレポります!
まずは国宝第一号でもある中尊寺をガイドさんと歩いてきたのでご紹介。

ガイド団体の選び方はこちらを参照ください。

 

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国宝第一号

なぜ中尊寺が国宝第一号なのか。
それは、国宝を定めようと決めた時、北から順に番号を振っていったらしいです。
その時、国宝級のお寺は中尊寺が一番北だったから。

仏像は京都の弥勒菩薩像が当時は一番北にあった。
お城は名古屋城の本丸御殿。

1950年文化財保護法が施行され、それまでにあった「旧国宝」を改定して「新国宝」と「重要文化財」に分けた時、北から順に「新国宝」に順ずるものに番号をふっていっただけだそうです。

なーんだ。一号だから特別凄いというわけではないのですね。
それに種類によって国宝第一号は何個もあるのです。

中尊寺ってどんなところ?

中尊寺とは、藤原清衡が前九年の役、後三年の役の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するために作られました。

詳細は下記に書いてます。

 

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中尊寺マップ

結構たくさんありますね!!!

実際に行ってきた!

入り口そばに駐車場があるので、そこから停めてスタートです。

ガイドさんと。

月見坂

月見坂とは、その名の通り月が見える坂。中尊寺の参道です。
藤原氏達はもちろん、義経や弁慶も通ったであろう道。
今は杉が伸びて月を見ることができませんが、当時はそれほど木の背が高くなかったので、月が良く見えたそうです。

どんなに偉いお坊さんでもここは車を降りて徒歩で登るという神聖な参道です。

東物見

月見坂中腹にある物見台。
ここからは北上川と衣川、経清と安倍氏が守ろうとした奥六郡、束稲山が望めます。

右奥に見える山は「束稲山」といって、かつては桜の名所だっただそうです。

聞きもせず たわしね山の 桜ばな 吉野の里に かかるべしとは

西行が詠んだ歌。
「聞いたこともない束稲山の桜が、吉野の桜と劣らないとは。」という意味。
今では桜はほとんど残っていないそうです。残念。現在でも桜で有名な吉野山と同等とは、よほど見事だったんでしょうねぇ。

弁慶堂

弁慶を祀るお堂。
元々は違う名称でしたが、弁慶と義経の木造が安置されていたことから明治以降に弁慶堂と呼ばれるようになりました。

中は撮影OKでした。

左の大きな像が弁慶。
その隣に座るのが義経。どこへ行ってもこの二人はセットで、まさに義経の「後の世も一緒にいよう」との辞世の句通りになっていますね。

こちらはなんと弁慶達が背負っていた「笈(おい)」というもの。

ぽい!!!すごく弁慶ぽい!!!!なんかこーゆうの背負ってるイメージ!!!
書いてある「亀井六郎」は弁慶と同じく義経に最後まで仕えた一人です。
当時の人が持っていたものがあるなんて・・ここに「リアル」さを感じました。

瑠璃光院

中尊寺の子院のひとつで、京都の有名な瑠璃光院とは違います。

瑠璃光院は中尊寺の僧侶やその家族の住居になっていて、立ち入りはできないようになっていました。

地蔵堂

道祖神が祀られています。

薬師堂

これは新しいぽいです。

観音堂

マップに存在していない観音堂。
でも、御朱印もちゃんとあります。

 

本殿

やっと本殿へ来ました!

おおおお~~!!!
威厳ある感じです!!

これが世界遺産中尊寺。
この門も相当な年季です。

入ると意外とこじんまりとしてました

本堂は明治時代に再建されたものです。

中も撮影可でしたので撮ってきました。

左右に建つのが「不滅の法灯」と言われている、約1200年灯り続けている火です。すごっ

不動堂

峯薬師堂

大日堂

旧鐘楼

今は使われていない680年前の鐘楼

うっすらと中見えます

この鐘を撞くことはない。と書かれていますが、最近もなんと鳴っているのです!!!

それは、2023年3月11日(この旅行の1か月前!!)
東日本最震災の13回忌の際に鐘がなりました。

その前は、2011年。大震災の年の大みそかに除夜の鐘がならされたそうです。

大事な時には今でもなるんですね。
680年前と同じ鐘の音。不思議な気持ちだろうな。いつか聞いてみたい。

金色堂

いよいよ金色堂です。国宝第一号のやつです。
写真にうつるこの姿は金色堂ではありません。
金色堂を守るために作られた「覆堂」。
最近なのかと思ったら金色堂建設後20年くらいで簡易的な覆堂があったようです。
それまでは雨ざらしだったのか。すぐに保護しようと覆堂を作ってくれたおかげで今日も美しい金色堂を見ることができます。
感謝。
現在の覆堂は昭和に建設されたものです。

ここからは拝観料を払い、行ってきます♪

ちなみに、料金はこちら

電子マネー使えます。

チケット受付にこんな張り紙が

「何事もいう前に もう一度考えて 言うように」
まぁ。そうだよね。口は禍の元だし。
でもなぜいまここに?

金色堂は撮影禁止の為、パンフレットの写真を載せます。

覆堂の中でさらにガラスケースに覆われていました。

もうね、キラキラすごかった!!金閣寺よりキラキラ!!
金色堂の柱や手すりなどの模様はすべて象牙や夜光貝でさらにキラッキラの螺鈿細工。キラキラ具合もすごいけどその繊細な模様も美しかった。
息をのむ美しさとはまさにこれのことかと。
ひとつひとつが本当に細かくてきれいだった。

これが建設当時は雨ざらしにされていたとは・・・覆堂を作った気持ちが理解できます。
仏像たちの下にクジャクの面が3つありますが、その部分には清衡、基衡、秀衡と、泰衡の首が安置されています。
今でもここに眠るなんて・・
歴史が現実にここにありました。もうね、いろいろ感動。

松尾芭蕉句碑

金色堂の脇に芭蕉の句碑がありました。

五月雨の 降り残してや 光堂

奥の細道で中尊寺を訪れた芭蕉が金色堂を見た後に詠んだ句。
「年々降り続き、すべてを朽ちさせた五月雨も、この光堂だけは降らなかったのだろうか。金色の堂宇が光り輝いていることよ」との意味。

句碑の文字が全然読めませんがww

芭蕉が来た当時の平泉は荒廃していたものの、ここだけは光り輝いて残っていたのですね・・

芭蕉いた。

当時なんと46歳。めっちゃ老けてる!!!
現代人が若いのか?自分が同じ年代だから若く感じるのか?

経蔵

かつて「中尊寺経」が納められていたお堂。こちらも重要文化財。
中尊寺経は国宝で、中尊寺建立と同じくして書かれた金銀の経典です。
その数なんと全5400巻とか。そのうち現存するのは4500巻で、うち4200巻は高野山に伝わり、中尊寺に残るのは15巻のみです。

すごい!!壁一面の棚!!!

旧覆堂

かつて金色堂を覆っていた覆堂。
現在のものは昭和43年に設置されたもので、鎌倉時代から昭和までの500年間はこの覆堂が金色堂を覆っていました

これがすでに重要文化財wwすごいなーー

中には絵画や古い回向柱のようなものも。
松尾芭蕉もこの覆堂に覆われた金色堂を眺めたのですね。伊達政宗もきたのかな~

釈迦堂

大長寿院

鎌倉にかつてあったという永福寺は奥州藤原氏と義経を弔うために建てられた寺院ですが、そこは平泉に感銘を受けた頼朝が中尊寺、毛越寺、無量光院を模した寺院といわれています。
なかでもその本堂はこの大長寿院を模したものだったとか。

現在のものは江戸時代に再建されたものですが、2階建てで本尊は15メートル、脇には4.8メートルの像が安置されていたそうです。
豪華だったのかな~~

この寺院を模した永福寺も2階建てだったため「二階堂」と呼ばれ、永福寺のなくなった現在も「二階堂」という地名だけが残っています。
歴史がありますね・・

弁財天堂

能楽殿

こちらの能楽殿はガイドのコースにないそうなのですが、せっかくなので、と案内してくれました。

江戸時代に伊達藩によって再建された能楽殿。重要文化財です。
ここでは今も神主や野村萬斎などの狂言師が能を奉納するそうです。すご!!!

この奥に白山神社があります。

ガイドさんとはここまで。
とっても楽しくしっかり理解することができ、歴史を深く感じることができました!

讃衡蔵

藤原家の「衡」の字をとってつけたこの宝物館。
中には国宝の「中尊寺経」や4代目泰衡の首が入っていた桶など、数々の歴史物がありました。
藤原3代ミイラの副葬品なども。
もちろん撮影禁止です。

これが中尊寺経と呼ばれる国宝「紺紙金銀字交書一切経」

画像は研究情報アーカイブズ様より画像をお借りしています。

紫の紙に金銀で絵や文字が書いてある。細かい文字で書かれた五重塔とかあった。
生のこれはすごく綺麗だった。
こんなものが5400巻もあったなんて。。藤原家すごい!!!
この宝物館は見る価値めちゃくちゃあります。金色堂の拝観券でこちらの宝物館も見ることができます。

讃衡蔵の横に、お土産屋さんがありました。

平泉ポスト

かっこいいポスト出現!!!
これは世界遺産10周年を記念し町内7か所に設置されたうちのひとつ。

中尊寺に伝わる国宝「紺紙金銀字交書一切経」のデザインを基調とした紺色で、中尊寺金色堂の柱に螺鈿で書かれている「宝相華唐草紋様」が描かれています。
郵便POSTの文字や、裏面には平泉の宝物に多く用いられる孔雀、側面には世界遺産平泉のロゴマークが金色で描かれています。
平泉ならではのデザインですね~~。かっこいい!

奥の細道展

月見坂中腹にある「奥の細道展」。
イベントかと思いきや、奥の細道展という名前の茶屋です。
もちろん松尾芭蕉などの展示もありましたが。

縁側からの景色がきれいだった~~

古い古民家を改築し「積善院お休み処」という名称でざんざいやコーヒーなどを提供しています。

展示を見るには別途100円払いました。

 

奥の細道展

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弁慶園

こちらも月見坂にある甘味処。
ここで「弁慶餅」というものを食べました

 

五平餅みたいな感じ。
1本250円。店内に座って休憩しつつ美味しくいただきました。

 

松栄堂 弁慶園

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御朱印

金色堂で御朱印帳を購入すると限定の御朱印がもらえるとのことで、一番初めに金色堂で御朱印をもらいました。

御朱印帳はこれ。

かっこいい!
左の黄色いのはカバーです。

この御朱印帳限定の御朱印はこちら

一番初めのページに「金色霊廟」の文字入り。
そして見開きのかっこいい御朱印。
手持ちの御朱印帳には、見開きでなく1ページに収まる御朱印がもらえます。

好きな人は見開きと通常版とどちらもゲットというのもできますね!

本殿の御朱印はこれ

本堂ご本尊の釈迦如来を示す「パク」という梵字が書かれています。

中尊寺内にはなんと13種類の御朱印をいただくことができます。
すご!!!!

御朱印好きな人はいいけど、私はここまでやる時間もなかったため金色堂と本堂だけにしましたが、一応表を貼っておきます。

①金色堂
②白山神社
③弁財天堂
④経蔵
⑤讃衡蔵
⑥阿弥陀堂
⑦大日堂
⑧峯薬師堂
⑨本堂
⑩地蔵堂
⑪道祖神
⑫薬師堂
⑬弁慶堂

えっ、讃衡蔵も!?知らなかったわ~~
金色堂で御朱印帳をゲットしたらぜひとも回りたいですね♪

あっ、弁慶堂だけはゲットしてきた。(後で義経堂に行く予定だったので)

こちらは貼るタイプをもらえます。

まとめ

大長編になってしまいました。
中尊寺、濃いです。
小さなお堂がたくさんありますが、それぞれに住職がありお堂の裏にはみんな自宅があるそうです。
子供たちはそこから小学校に通うのだとか。

歴史を学んでから行く中尊寺は悲しさとその豪華絢爛さに感動します。
なんか敷地全体に余裕というかゆとりがすごくある感じがしました。優雅な感じ。
これが平安なのか。
ガイドさんの説明も、いろんな情報が聞けてよかった。
金色堂は国宝中の国宝って感じでした。900年経ってるってすごすぎるな。
今まで全然知らなかった無知な自分を反省します。

中尊寺、行って良かった。行くべしです。

施設情報

住所 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
電話番号 0191-46-2211
営業時間

境内通年開放
3月1日〜11月3日/8:30~17:00
11月4日〜2月末日/8:30~16:30

料金 大人800円、高校生500円、中学生300円、小学生200円(団体割引あり)
駐車場 あり。第一駐車場普通車400円
公式HP https://www.chusonji.or.jp/index.html

追記

令和6年(2024)1月23日(火)~4月14日(日)、東京国立博物館にて特別展「中尊寺金色堂」が開催されます。
なんと金色堂内部の仏像すべてが上野に来るんですって!!!
来年で建立900年!!!
この間中尊寺の金色堂はからっぽってこと?
東京国立博物館では大型ディスプレイで金色堂を再現し、本来ガラス張りの金色堂の内部まで入れるそうです!
すご!!!ちょっと行ってみたいかも。

http://chusonji2024.jp/

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