潜伏キリシタン関連遺産⑥島原の乱最後の舞台、原城跡

潜伏キリシタン関連遺産⑥島原の乱最後の舞台、原城跡

世界遺産、潜伏キリシ長崎の世界遺産、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は全部で12から構成されています。
そのうちの一つ、原城跡に行ってきました。

 

原城跡ってなに?

まずは漫画をご覧ください。

長崎に行く前に読んでおこう!潜伏キリシタンの悲しい歴史を漫画にしてまとめました①

元々はキリシタン大名の有馬さんのお城でした。
しかし、有馬さんが岡本大八にだまされ失脚後、ここは空き家状態に。
新しくきた藩主は島原に島原城を建てたのですね。

そして島原の乱のとき、一揆を行った農民がこの空き家の城に籠城し戦いました。
鎖国のきっかけにもなった日本の大事件、島原の乱の舞台になった場所です。

原城温泉 真砂

原城本丸の手前、大手門のそばに原城温泉真砂というホテルがあります。
まずそこへ行きましょう!!
原城には本丸近くまで行っても駐車場がありません。敷地がまるっと世界遺産になってしまったのでもう作れないんだって!
真砂さんはなんと車も停めていいし、無料で電動自転車を貸してくれるのです!!!
これはすごい!利用しない手はありません。

あと、ホテルのスタッフが島原の歴史を教えてくれたりと、親切でした!!

本丸までの道も見所あり

真砂の駐車場から本丸まで歩いたら約10分と聞きましたが、自転車なら5分足らず!
ずっと登り坂ですが、電動自転車なのでピューーーーンです!!!

真砂からすぐに原城の敷地内。ここからすでに世界遺産の範囲内です。
敷地が広いので本丸までがんばれ~~!!

原城跡の航空写真がありました。

写真提供:(一社)長崎県観光連盟

凄い!海の要塞ですねーー
こちらの写真は本丸付近。まだまだ辿り着きません。

手前で休憩

世界遺産原城跡です

本丸へ向かう前に、道の両側に広大な敷地が広がるのですが、一揆軍と幕府軍が戦った最前線の場所、女子供が隠れていたという空堀などがみられました。

ガイド

本丸入り口に小さな小屋があり、そちらでガイドを申し込めます。

VR!面白そう~~
とのことでタブレットを借りました。

原城本丸跡

ほねかみ地蔵

入り口すぐ横にお地蔵さまがありました。

戦後130年に残されていた人骨を拾い集め、ここに埋葬したそうです。
一揆軍、幕府軍の区別なく。
まずここで一礼・・

石垣が崩れてる

本丸の正門からスタートし見えてくるのがこちら
本丸に続く虎口(出入り口)付近。

石がごろごろしてます
これは戦後にこの城を二度と使わせないように幕府が石垣までも崩し破壊した跡。

そしてここは一揆軍の人骨が大量に見つかった場所です。骨の状態から、幕府軍が首や足を切って容赦なく殺害したことが裏付けられています。
幕府軍は一揆軍の遺体を通路に集め、両側の石垣を崩して巨石を落とし、その上に土をかぶせて完全に「封印」していたとのこと・・

幕府軍、勝った後もここまでするなんて、めちゃくちゃ怖かったんかね・・

櫓台跡

景色が一望~~
この辺に天守があったと推定されてます。
ここまでくると高い場所にあるのがすごくよくわかる。

当時の人もこの景色を見てたのかな・・

櫓台からもさらに壊された石垣が見えました。

十字架、天草四郎像

奥には十字架が見えました

が!なんと!!十字架手前、わかります?
ぽっかりと大きな穴が!!!
なのでこれ以上近づけず・・・残念。
天草四郎の像もよく見えませんでした。
なので写真だけ・・

写真提供:(一社)長崎県観光連盟

天草四郎のお墓

天草四郎のお墓がありました。ロザリオとかおいてありますね。

若干15歳にして日本最大一揆の総大将。
ここ本丸で首を切られ、長崎でさらし首にまで。

お墓は違う場所の民家の石垣にあったそうですが、ここに移されたそうです。
民家の石垣に・・
大事にしたかったけどさらし首にまでなった人のお墓を堂々と置けませんものね・・
色々考えてしまいます。

キリシタン像

十字架の近くにキリシタンの像がありました。偶然発見!
フェンスの外側に立ってるの。なぜこんな場所に・・なんの案内も説明書きもない。
これ偶然発見したけど、普通に歩いてたら見逃しちゃうよ。外側にあるんだもん。
3人とも海を見てる。

有明海に浮かぶ湯島のほうを眺めて立っていました。なんと悲しげ・・
目線の先にある湯島は、島原・天草の一揆民が蜂起する前に集まったといわれてます。別名「談合島」。

なぜ案内もないのかと調べたところ、この3体の像は公式なものではなく、誰が置いたのかわからないんだそう。
世界遺産登録の際に撤去の話もでたそうですが、そのままにしたとのことです。
絶対それで正解。

顔が見えないところがいいね。色々想像しちゃいます。
この3体がものすごく印象的でした。

左分利九之丞の墓

島原の乱で亡くなった左分利九之丞という人のお墓。
なぜこの人のお墓が残っているんだろうと思ったら、死の直前にそばにあった石に自分の名前と日付を刻んだそうです。
それでこの人だけ後世に残っているのですね。

池尻口門跡

ここは本丸へ続く門の一つでしたが、戦後は幕府軍に破壊され埋め尽くされていたそうです。

ここを通って出口です。

VR

貸りたタブレットをかざしながらVRで解説を聞きます
写真右側の看板が各地にあり、そこでタブレットをかざすとVRの映像と解説が聞けます。

外が明るかったので画面が良く見えず・・
海側の柵の部分、当時は城壁だったVRの画像がわかるでしょうか。

こんな動画ありました

VRでの解説は、この場所が当時はこんな風だったんだ!!とわかりやすいですが、一方的に話が進んでいくので聞き逃してしまったりということもありました。
私はガイドさんに案内してもらう方がよかったな~
ガイドさんはパンフレットに載ってない情報とかも教えてくれるからね。

100名城

100名城になってないんですよ!ここ!!!
こんな歴史もあるし、見所もたくさんあるのに。
続・100名城にはなってますが、100名城になってないとは・・
石垣なども崩されてるから入らなかったのかな。世界遺産になったのに・・

100名城で世界遺産て、姫路城だけか。
城跡なのに世界遺産てすごくない?その分の歴史的背景・・(´;ω;`)

というわけで100名城スタンプはもらいませんでした。

これ買ったらいいんか・・
でも100名城の本だってまだまだ終わらないのに、こっちにまで手を出したらいかん気がする・・

まとめ、感想

潜伏キリシタンの世界遺産はどこへ行っても悲しい(´;ω;`)

ここで戦った37000人、女子供もすべて全員が殺されています。
一時は海辺に2万以上の首が並んでいたとか。

たった一人、生き残りがいました。
生き残った一人は、幕府のスパイだった人。こんなやつがいたなんて!!!

一揆軍はオラショを唱えてから戦っていたそうです。人骨と共に十字架やロザリオなどが発掘されています。
落城の際には、笑顔で炎の中に飛び込む子どももいたといいます。
一揆軍は四郎と共に天国に行くことを望んでいたのか・・殉教した人たちもそうですが、皆死を恐れていないんですよね。
死を恐れぬ農民の姿に幕府軍は恐怖を感じたのではないでしょうか。
それで一揆軍を倒した後も執拗なくらいにお城を壊してます。

真面目な信仰も、権力者から見れば「狂信的な反体制思想の組織」となります。
政治と宗教は切っても切れない・・

この事件を機に、幕府は鎖国へと踏み切るのでした。
教科書ではさらりと学ぶ島原の乱。こんな深いとは・・
今回の旅で世界遺産を回るたびに、ここは悲しい!とかここが一番つらい!!とか言ってましたが、もうどこも悲しい(´;ω;`)

幕府軍に有馬さんの長男がいたことがわかってます。
どんな気持ちで自分の城を落としたのか・・

原城からも棚田が見えました。

こんなのどかな風景なのにね。
戦後、この場所は忌み嫌われたそうです。

真砂に自転車を返した時にスタッフさんが話してくれたのですが、「キリシタンが迫害されて悲しい歴史ばかりが目立つけど、この辺は大名もキリシタンだったから逆に仏教が迫害されていたんですよ。仏像を燃やしたり、お墓を階段にして踏みつけたりね。」とのこと。
キリシタンの歴史を調べててもあまりそういった話は見ないけど、そうなんだーー
とても勉強になりました。

戦(いくさ)ってどっちにも大義があって、どっちも自分たちのために戦ってるんだよね。
だからといって人を殺していいはずないし争いはなにも生まない。

ここには今でもたくさんの人骨が眠っています。
世界遺産、原城跡は巨大な霊園でもあるわけです。
亡くなった方のご冥福を祈ります。

あとは電動自転車が最高でした!!!

施設情報

原城跡

住所 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町
電話番号 0957-65-6333(南島原ひまわり観光協会)
料金 無料
アクセス 島鉄バス:原城前バス停より徒歩15分。国道251号線沿い、南有馬町にはいると案内あり

原城温泉 真砂

住所 〒859-2414 長崎県南島原市南有馬町丁133
電話番号 0957-85-3155
営業時間 レストランはる乃 12:00~14:00(2022.02.01現在休業中)
温泉入浴  10:00~21:00
休日 年中無休
アクセス 長崎空港から車で約95分、島原市内から車で約45分

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