禁教前最後の迫害現場!悲しすぎる歴史、牢屋の窄殉教記念教会

禁教前最後の迫害現場!悲しすぎる歴史、牢屋の窄殉教記念教会

久賀島の世界遺産は旧五輪教会堂で、今回の牢屋の窄記念教会堂は世界遺産ではないのですが、こちらも絶対に見るべき遺産のひとつです。

旧五輪教会堂の記事はこちら。

潜伏キリシタン関連世界遺産④古民家風教会!旧五輪教会堂へ

そしてやはりここも漫画を読んで事前学習してほしいです!

長崎に行く前に読んでおこう!潜伏キリシタンの悲しい歴史を漫画にしてまとめました①

牢屋の窄についても書いています。

旧五輪教会から徒歩で山の上まで行き、車で40分ほど移動し到着しました。

牢屋の窄ってなに?

明治元年(1868)長崎の浦上の地においてキリシタン迫害が始まると、多くの信者がいた五島各地でも厳しい弾圧と迫害が始まった。
久賀島では、6坪ほどの牢屋に信者200名を八ヶ月の間押し込み連日悲惨な拷問が行われたという。その結果、死者39名、出牢後に死んだ者3名という悲惨な弾圧であった。
その状況は外国使節団の知るところとなり、明治新政府の外交間態に発展し、ついに太政官布告によって明治6年キリンタン禁制の高札が下ろされ、信者達は信仰の自由を勝ち取った。
この歴史的場所である牢屋の窄一帯を殉教の聖地として永久に保存しようと地域の信者達が浄財を出し合い地主より買い受け、殉教の牢屋の跡に信仰の碑(殉教記念碑)を建設し、和59年には新聖堂も建立された。

漫画を読んでいただければわかるのですが、当時禁教下に宣教師が現れ、キリシタンたちは興奮してたと思うんですね。
盛り上がってしまったと。
でもこの殉教がなければ日本の禁教は解かれなかったのしれない。
世界がこの事実を知って怒り、大避難を浴びた日本は禁教を解くしかなかったのだから。

場所はこんな感じ

赤字が世界遺産、それ以外は青字で書いてます。

実際に行ってみた!

入り口

海辺から高台に向かって階段が続きます

この両脇は時期になると椿が咲いてきれいなんだそう。

牢屋の跡

階段をあがると広場になっています。

まさにこの広場が牢屋のあった場所。

当時の牢屋はもうないのですが、当時の牢屋の写真がありました。

この向かい側の木々の間に監視所跡もありました

ここから牢屋を監視していたのです。

信仰之碑

広場の奥に石碑がたくさん並んでいました。

これはひとつひとつがここで亡くなった方たちの墓碑。

それぞれに名前と年齢、最後の言葉が書かれているものもありました。

皆さん洗礼名と名前、年齢が書かれていますね。
実に様々で小さな子からお年寄りまでいました。

久賀島カトリック信徒囚獄の跡

江戸幕府に続く明治政府のキリシタン弾圧により、明治元年9月、久賀島の信徒が捕らえられ、激しい火責め、水責め、算木責めの拷問を受け、10月には内上平集落の信徒の家をこの地に移して牢とし、老若男女 200余名が収容された。この牢屋は奥行き 3間、間口 2間6坪の家牢で、中央が仕切られて男女別々に監禁された。

狭隘な牢内では身動きすることも困難で人の体にせり上げられて足さえ地に着かない者もあって、さながら人間の密集地獄であった。3日目には足が腫れ上がり、食べ物は芋の小切れを朝夕に 1個ずつ、飢えと苦痛のため死者が続出した。

死体は次第に密集地獄の下に、踏みつぶされて腐敗するが 5日間も放置され、蛆がわいて人体に這い上がり、その上、その場に放尿排便せねばならぬので、その不潔さと臭気は言語に絶する惨状で 13歳のドミニカたせは、蛆に下腹を食い破られて死亡した。10歳のマリアたきは、熱病におかされて頭髪は落ち、「私はバライゾ(天国)に行きます。お父さんもお母さんもさようなら」の一語を残して息を引きとった。その妹マリアさもは 7歳の幼女であったが、「イエズス様の五つの御傷に対して祈らねばなりません」と言い残して息が絶えた。

かくして在牢 8ヵ月殉教者 39名、信徒の頭 9名はそのまま牢に残され全員の出牢が許可されるまでには 3箇年を要した。彼ら信徒は孜々として生業に励み、忠実に法に従う良民であったが、信仰に忠実、神の掟を重んじたというだけでこの責苦を受けたのである。明治政府は、絶対主義神道国家確立をはかり、祭政一致を唱え、その政策の犠牲となったのがカトリック信徒である。

久賀島のカトリック教徒は、あどけない幼児から 60余歳の老人に至るまで超人的精神力をもって、この比類のない苦痛に耐え忍び、信仰の自由と良心の尊厳とを身をもって主張し、信仰に生きる久賀島カトリック信者の魂の偉大さを発揮したものである。

小さな子供たちが「天国に行きます」と悟るほど拷問を受ける必要があったのでしょうか。
悲しすぎます。
彼らの幸せを願ってやみません。

パウロ 助一 79歳「最初の牢死者 短躯のため窒息死」

梨泰院の雑踏事故と同じく、立ったまま圧死。
背が低い人から亡くなったのですね。

ドメイ 政治郎(政五郎) 6歳 「アップ(水)アップと云いながら かわきのために死亡」

6歳・・(´;ω;`)

ドミニカ たせ 12歳 「蛆(ウジ)に下腹をかまれて死亡」

死体が足元に放置されたまま、糞尿は垂れ流し、湧いてきた蛆に下腹を・・なんという惨劇でしょう。
それも12歳。

向かい岸には

振り返ると、久賀湾が見え、向こう側の集落が見えます

ここで囚われたキリシタンを改宗させるために向かい岸の楽しい生活を敢えて見られるようにしたそうです。
辛い(´;ω;`)

牢屋の窄殉教記念聖堂

中には200人が入っていた実際の大きさが床に記されています。
中には入れませんでしたが、ガラス越しに見ることはできました。

約12畳に200人て・・悲惨すぎる。

亡くなった42人がどうか安らかでありますようにと願わずにいられません。

感想

なんていうかね、もう言葉がでないくらい悲しかった。
そしてこんな事実が歴史に埋もれていたなんて。

当時はこの事件が世界のニュースになり日本は非難を浴びるわけだけど、私たちは後世でこの歴史をきちんと習っていないと思う。
ただ、「キリシタンたちは迫害にあい、何人も死にました」の一文で終わっている気がします。

今回キリシタンをテーマに旅をするにあたって、きちんと事前学習してきたつもりだったけど、やはり現場を目前にすると言葉にできないものがありますね。
それから、海や山がほんときれいで。椿も咲いたらほんと絶景だと思う。
そのギャップがなんとも言えず・・

帰り際も日が落ちかけてきていて、美しい景色でした。

死ぬことで崇められるのは違うと思うけど、その魂は安らかに眠ってほしいと思います。

ガイドさんのお話、良かった~

参加したツアーの全記録はこちらから

世界遺産満載!キリシタン物語ツアーに参加してきました。

施設情報

住所 〒853-2171 長崎県五島市久賀町大開
拝観料・入館料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
アクセス 田ノ浦港から車で10分、浜脇教会堂から徒歩で20分

見学には予約が必須です。
必ず予約をし、マナーを守っていきましょう。

教会の見学予約はこちらからできます
http://kyoukaigun.jp/visit/detail.php?id=15

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