悲しすぎる歴史。世界遺産にならなかった浦上天主堂

浦上天主堂へ行ってきました。
浦上崩れの浦上。
ここはさぞかし信徒が多いのかな~~

 

立派ででかいっ!!!

浦上天主堂とは

浦上教会(浦上天主堂)は、1873年、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって建設が計画されました。

ところが資金がなかなか集まらず、20年余りの時を経た1895年にようやくフレノ神父の設計による教会の建設が開始され、1914年に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。

正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられましたが、1945年、原爆により建物は破壊され、アンジェラスの鐘も鐘楼とともに崩れ落ちました。

現在の建物は1959年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。

周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたもう一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。

ながさき旅ネットより

教会って、どこもそうですが、信徒たちが自分で建てているんですね。
それでこんなに立派な建物を作ったのはすごい!!

浦上は浦上崩れが起きた場所。
迫害され、やっと資金を集めて建てた立派な天主堂もわずか20年で原爆で大勢の信徒と共に・・
報われなさ過ぎてつらい・・

浦上崩れは漫画でご確認ください。

長崎に行く前に読んでおこう!潜伏キリシタンの悲しい歴史を漫画にしてまとめました①

一番大きな浦上4番崩れを抜粋するとこんな感じ(浦上崩れは全部で4回あり、その4度目)

村人全員が流刑になり、先々で拷問を受けたのです。

浦上天主堂行ってきた!

外観

でっかい!!!
超でかい!!!
大浦天主堂も大きかったけど、同じくらい?それ以上??

ここは現役の教会なので、ミサ中などは入れませんが、この日は開放されていました。

この日は開放されていましたが、何もない日だったので教会の明かりが落とされていて、暗い教会内をステンドグラスから入る光だけが優しく照らしており、それはもうものすごくきれいだった。
綺麗というか神秘的すぎて、言葉にならない。絵のようでした。

ステンドグラスに青が多く使われていて、青い光に照らされて静まり返る教会内。
本当にきれいでした。
写真に収められず、残念すぎる・・
絵のようって思ったけど、私の画力では書けない・・!

原爆遺構

浦上天主堂は原爆で被災した建物でもあります。
原爆の中心地から500m。
この大きな建物を壊すほどの衝撃・・想像ができません。

敷地内には被爆した銅像たちが並んでいました。

レンガは建物の一部・・
前に建つ銅像は鼻や首がなかったり、首だけだったり、焼け焦げています。

天主堂の入り口に掲げられている像も、被爆したものだそうです。

真ん中は複製したものですが、左右は旧浦上天主堂の設計も手掛けた神父様が彫ったものだそう。
被爆したけど、それを今も掲げてるって、とても感慨深い。

浦上崩れで流刑になったことを、本人たちは「旅」と呼んでいました。

「『旅』殉教への門出」レリーフ。
天主堂正面左側にあるレリーフで、信徒発見150周年を記念して造られたもの。
萩、津和野、福山に流された彼らは、棄教を迫られて苦しい拷問を受けました。
殉教への門出って、、悲しすぎる(´;ω;`)

信仰の礎

敷地内にあるこの碑。

「旅」を終えた信徒らを称えたもので、公教復活50年記念に建立された碑。
向かいに見える山は樫山といい、大切な巡礼地だったそうですが、浦上の信徒はそこに行くことさえ難しかったので、樫山を眺めながらオラショを唱えたそうです。

映ってませんが、この傍らに拷問の石というものもあり、実際に「旅」先で拷問に使用された石が置いてありました。

原爆遺物展示室

被爆したマリア像や落ちた鐘などが展示されていました。
迫害だけでも辛いのに、さらに原爆まで落とされるって、長崎の歴史辛すぎる(´;ω;`)

旧天主堂の鐘楼

原爆で吹き飛ばされた鐘楼の一部が近くに残されていました。

でっかい!!!!大きさがわかるかな・・

今の鐘楼と同じくらい?近くで見るとこんなに大きいのか…

50トンもあるこの鐘楼は動かせず、川の流れをせき止めてしまったため川の方を移動させたとか。
こんなものがよく30mも飛んでいったな・・
そしてこんな大きなものが落ちてくるほどの衝撃。恐ろしすぎます。

鐘楼の上には浦上天主堂が見えます。
あそこから落ちてきたのですね…

この落ちた鐘は原爆遺物展示室に展示されていますが、もうひとつの鐘は現在も変わらず時を告げています。すごい・・

展示されてる、とかではなく落ちたままの状態で今もそこにあるってすごくないですか。
重たすぎて移動できないのかもしれないけど・・

こんなものが街中にあるというのも結構衝撃でした。

まとめ、感想

浦上天主堂は被爆後再建してるので世界遺産にはならなかったけど、世界遺産と同じくらい見るべき価値のある場所でした。
キリシタンも、原爆も・・

キリシタンの歴史は悲しくてつらいものだけど、ここが一番悲しい場所かもしれない。
頑張って頑張って建てたと思ったら被爆しちゃって。
それでも再建したのは、すごいと思う。
浦上の人たちの幸せを願わずにはいられません。
もう悲しい出来事が起こりませんように。

被爆した建物の一部は、爆心地公園に残されています。
こちらも行きたかったけど時間がなく断念。

施設情報

浦上天主堂

住所 〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1-79
内覧時間 9:00~17:00
休日 無休
拝観料・入館料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
アクセス バス:天主堂下・センター前・神学校前停留所から徒歩1分
路面電車:平和公園電停から徒歩8分

浦上天主堂は現役の教会の為、ミサなどが行われている場合があります。
ミサ中は入れませんのでご注意ください。

爆心地公園

住所 〒852-8118 長崎県長崎市松山町
アクセス 長崎駅前から路面電車(赤迫行)利用15分、「平和公園」電停から徒歩1分
長崎駅前から路面電車(赤迫行)で約15分、平和公園下車徒歩約1分

地図で見ると爆心地から浦上天主堂がどれだけ近かったかよくわかりますね。

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